2005-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ルソー

■関学へ行く日。サド、ディドロからルソー(『エミール』)の「性」の捉え方へ。 →そういえば、僕は修士に入った頃、学部のときに研究してたバタイユを辞めてルソーを研究対象にしようと本気で考えた時期があった。だから、3ヶ月かけて必死に彼の著作を全部読…

■ベルクソン『笑い (岩波文庫 青 645-3)』第1章4節 →ベルクソンにとって笑うべきものとは、人間のしなやかさが欠けた社会や精神の「機械的なこわばり」のようなものであり、そのような笑いは、しなやかさを欠いて機械的にこわばって留まっている人に弾力性と…

■リンク集。http://www.thought.ne.jp/peyotl/Liens/lien.html ■20世紀初期の写真に関する年表。http://66.102.7.104/search?q=cache:o3wjg4hKdeEJ:www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/catalogue/

美術史学会。

■美術史学会にいってきました。実際に聞いたのは、パノラマとバタイユ『ドキュマン』(とりあえず、つっこんどきました)。 →『ドキュマン』のテクストとイメージの乖離した関係については、ドーン・エイズかなにかの文章で読んだ記憶がある。問題は、当時の他…

■昨日 ゼミ発表。カント、キャラハン、ブークロー。後バイト。 ■ゼミ発表に向けて。 →とりあえず、写研の発表原稿の読み直し。・・・こりゃやばな。 ■忘れるべからず。 →ベルクソン

20年代のシュルレアリスムの画家たちは、シュルレアリスムの理念である絶対的な自働記述に応じるための技術的な手段を多く用いる。彼らは、そのような技法によって、「カンヴァスの表面へ無媒介な感覚を刻み込もうとした」。しかしながら、ブルトンにとって…

マトメ2

■授業二つ。サルトルとトルボット。

とりあえず。 この論文において主題となるのは二点。まずひとつは、20〜50年代を通じて、一貫したバタイユの「美学」というのものが、カール・アインシュタインの影響を受けた『ドキュマン』期の論文に見出すことができるということ。もうひとつは、このよう…

Ottinger解説1

■電話で呼ばれ、学部生のゼミ発表を聞くことになる。 →ベルメールとバルト写真論。どちらも、「論じ方」を見つけることが必要だと思う。どこから攻めるべきなのかをよく考えることが必要。(僕の場合も同じこと) 後、ティルマンスの写真を始めて見た。また後…

サドとディドロ

■関学の日。 →今日はディドロとサドのリベルタン小説(放蕩小説)の話。サドにとって、「快楽」が全ての価値の基準であるが、ではその快楽とは「性欲」「食欲」と言うことができるが、「睡眠欲」は当てはまらない。そのように考えると、サドにおける快楽とは、…

■留学試験のことは・・・忘れよう・・・あれはムリだ。 ということで、今日はおとなしくユベルマン読んでました。 →発表に向けて、ユベルマンの「mot」と「aspect」について調べてます。

■実家に帰る。明日は留学試験。場所は和歌山。ちょっとした三都物語に行ってきます。

講義

■今日はめでたいようで、めでたくない日。でも一応祝ってもらった。良かった良かった。 ■講義二つ。 →サルトル『存在と無』。サルトルの視線問題と、欲望(desir)による他者の否定。この時サルトルにとって問題となるのは、この自己の欲望の投機において、そ…

論文指導の日。

■今日は午後からゼミ発表を兼ねての論文指導。いつもより長く、3時間ほど指導していただいた。・・・正直全く分からなくなってしまった。・・・ダミッシュの論文を見てもらったのだが、焦点が余計に広がってしまったような気がしないでもない(とりあえず、ク…

色々。

■『フィクションの美学』終了。次バルト『明るい部屋』を再読。 ■今日は、関学の日。春画について。「色」から「性」への分岐点として、鴎外と田山花袋がいる(1910年頃)。『ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)』は高校の時、サドの作品から性にはまって読んだ記…

■クラウス「シュルレアリスムの写真的条件」を読むための準備。「指標パート1・2」「ピカソの名において」を読む。 →やはり、「インデックス」「再現=表象」という言葉の使い方にはかなり差がある。

ジム・ジャームッシュ『コーヒー&シガレッツ』を見に行く。二年ぶりぐらいの映画館。今回もオムニバス。ジャームッシュはひとつの空間を作り出すのがうまい。気になったのはコーヒーカップの数と物語が微妙に繋がっていたのが面白い。核になるのは、最初と…

僕の言いたかったこと。

■昨日 今期初ゼミ発表。コスースと武満徹とジョン・ケージ。議論としてはそれぞれ面白かった。自分の言いたかった事がちゃんといえなかった。自分のことだけど、もう少し論理的に説明できるようにしたい。ただ僕の言いたかったことは、和音―一音や不確定性な…

もう少し検討が必要です。

ベルクソンに食べられそう。レジュメが終わらない。→5時頃無理矢理終了。 ■サルトルの授業 →サルトルにとって問題だったのは、如何にして無意識を語らずに意識を措定していくか。それを考えると、本来意識=無[neant]というのが納得がいく。その即自的意識…

■ソンタグ『写真論』終了。→一応ベンヤミンの「シュルレアリスム」も読んでおこう。

独り言3

■ソンタグ『写真論』に悩む。確かに写真は、小説や絵画とは違ってヤコブソンの考えたような〈作者−作品−読者〉のような図式が成立しにくい。写真においては、その複製性のために、撮影者(オリジナル)はそれほど重要とはならない。ソンタグもこのことを認めて…

シュルレアリスムと絵画

■Didier Ottinger,"Isorateur et court-circut"を一通り目を通す。 →Ottingerはポンピドゥセンターの館長。 →20年代のシュルレアリスム(「シュルレアリスムと絵画」1924)においては、ほとんど理論化されていなかったブルトンの活動が、バタイユの『ドキュマ…

りあるメリーゴーランド!!

今日はゴールデンウィークを少し満喫。神戸をフラフラと。久しぶりにバイクで120キロの速さを体験。海へ。その後モザイクの小さな遊園地へ。何故かメリーゴーランドがやけに眩しく感じ、近寄ってみるとその謎が解けた。・・・それは、リアルな馬の顔だった。…

碍子とショート回路

■次Didier ottinger,"Isorateur et court-circut"日本語にすると「碍子とショート回路」。ざっと読んだ感じでは、カール・アインシュタイン(『ドキュマン』執筆者の一人)の思考方法とバタイユの思考方法の共通点を指摘し、それをシュルレアリスム(ブルトン)…

ソンタグ『写真論』1

■ソンタグ『写真論』を半分ほど読む。 →ソンタグのアーバスの写真に対する批評は結構面白い。(アーバスの写真http://www.masters-of-photography.com/A/arbus/arbus.html) ソンタグはまず写真を「偽りの現在[pseudo-presense]でもあり、不在の徴し[a token of…

■論文Emmanuel Tibloux "Le Tournant du Theatre"終了。以下簡単に要約 この論文の中心軸は、『アセファル』期(1937)のバタイユをひとつの転換期として捉え、それ以前の二つの活動(『ドキュマン』(1929-30)の頃と『社会批評』(1931−34)、『コントル・アタ…

■ニーチェ『権力への意志』→長いので強引に終了。 ■酒井建『絵画と現代思想』終了。 →最後10ページほどのグリーンバーグ批評に関しては、うまくまとめられている。クラウス「アンフォルム展」に対する論考は検討する価値がある(最後の1ページだけ)。後は適当…

八百屋。

よくバナナを買いに行く近所の八百屋さん。ここ2週間こんな張り紙をしたまま帰ってこない。どーしたんだろうか。 野菜の収穫に行って来ます。(紅、玉ねぎ・にんにく・・・等) 帰りましたら、買って下さいね。 **商店 少し寂しい。

バイト

■家の近所で衝突事故発生。同じ場所で3回ぐらい事故が起きてるよ。家の近所(六甲付近)は、何故か信号機がやたらと少ない。■昨日は、三宮にご飯に行った。夜9時ごろ帰ろうかと思って携帯を見たら、着信が10件ほど。留守電を聞いてみると、どうやらこの日はホ…

"Le Materialisme Dulaliste de Georges Bataille"c)聖なるものと俗なるもの Le sacre et le profane オリエは、「俗なるもの」と「聖なるもの」を論じるに当たって、まず初めに二つの実在[l'existance]を提示する。一方は、聖なるものを超越的なものとして…