2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

集中講義

■今日は集中講義二日目。 朝からのんびりジャズ講義(コーヒー付)、昼からは考現学、夕方からはドール・ミュージアム。 考現学の講義は僕には重要な問題。現にある様々なオブジェの痕跡から、都市やさらには世界を仮説形成ていく。一般的な考現学の例を挙げれ…

手写真

■Herbert Bayer 1932『孤独な都会人』。バイヤーによるこの手写真は、シュルレアリスム的なイメージといわれている。だが、この写真は、恐らく単純に不気味なものだなんていうことができない。むしろその眼を持った手は、オートマティスムを実践する手であり…

横浜写真/仮面写真

■科研〜横浜写真。 問題だったのは、18世紀人類学によるアフリカなどのポートレイと19世紀以降の人類学(例えば日本など)のそれでは、撮影のされ方がまったく違うということ。その一方は、完全に科学的な方法によって、非西洋人の身体の測定を行っている。そ…

アルバム写真

■アルバム写真 を例えば見てみれば、そこに写るのは、自分の姿と思しき小さな子供の姿であるが、実際現在の私たちから見れば、もはやそこにはほとんど実際過去の記憶は存在しない。それは、時代遅れのファッションを身に纏ったくすんだ写真であり、オリジナ…

バタイユとクラカウアー

■現在パリの欧州写真館では、雑誌『Vu』の展覧会が開催されている →ここ。 ■クラカウアー『大衆の装飾 (叢書・ウニベルシタス)』 の写真論を読み返す。恐らくほとんど注目されていないと思うが、クラカウアーの写真論が出版された時期とバタイユが雑誌を刊…

マン・レイのサイト

視文研

■視文研 アメリカのアクションペインティングという芸術が資本主義的なイデオロギーの被害者であるというよりも、むしろ共謀的な関係であるならば、それを自覚した上でどう芸術を展開していったのかということがこれからの問題。そこで重要なのが、デ・クー…

ダダとシュルレアリスム

■ダダとシュルレアリスム とはほとんど時代が異なっていないにもかかわらず、研究者によるアプローチの仕方は、まったく異なっている。その一方は、美術史的な様式なものがほとんどだし、他方は、精神分析が多い。その分析自体が間違っているわけではないが…

コミカル・シニカル展

■コミカル・シニカル展 のオープニングパーティと少しお手伝いをしてきました。 この展覧会のタイトル「コミカル・シニカル」というタイトルにあるように、この展覧会は、プール跡という空間を使って、そのはじめから従来の美術館という制度的な諸条件をコミ…

■お知らせ 第六回視聴覚文化研究会日時:2007年1月20日(土)13:30〜17:00 会場:同志社大学(今出川キャンパス)明徳館3Fメディア教室 発表時間:13:30〜14:30、14:45〜15:45、16:00〜17:00 発表者及び発表タイトル:1.「アクションペインティングとアメリ…

コミカル・シニカル展

■今日はコミカル・シニカル展 のお手伝いをさていただいた。あともう少しで完成である。 http://poolphoto.exblog.jp/ バブル時代の残滓のような使われなくなったプールが会場として使われている。ずっと中にいて作業をしていると、その会場場所といい、壁の…

人体は不思議だ

ということで、『人体の不思議展』にいってきた。 今まで人体標本といえば医学、特に解剖学という専門分野でしか知り得なかった世界を一般に公開し、人体標本を通じて「人間とは」「命とは」「からだとは」「健康とは」を来場者に理解、実感していただき、ま…

身体の脱構築

■問題なのは、 バタイユも含めてシュルレアリストたちが、合理主義的社会と呼ばれるものを乗り越えるために、その本質的な役割を果たした人間的身体を破壊したというときに、単に理想的身体→破壊という一方的な議論がほとんどであるということ。多重露光、フレーミン…

シュルレアリスムと手

■不気味な手Speaking With Hands: Photographs From The Buhl Collection作者: Jennifer Blessing出版社/メーカー: Solomon R Guggenheim Museum発売日: 2005/01/01メディア: ペーパーバック クリック: 12回この商品を含むブログ (5件) を見るシュルレアリス…

ホラー映画論

■ロビン・ウッド「アメリカのホラー映画」論を読む フロイトとマルクスを基にして、モンスターを「抑圧」された社会の中で立ち現れる「他者」として捉える。ホラー映画全体を概説的に見るには良い論文。その抑圧の対象は、性的なもの、労働者階級、異文化、…

正月はビデオでも見て過ごそうという人がたくさんいた。近くのツタヤは人がいっぱい。で僕はゾンビ映画を見ることにした。 ジョージ・ロメロ監督。この監督の作品は、管見の限りでは、物語構造は全部同じ。ゾンビ蔓延した世界のなか、人間だけの楼閣をつくり…