神の息吹

shirime2011-07-01

Homo spectator, Paris : Bayard, 2007.

マリ=ジョゼ・モンザンが近年、イメージの発生の問題系を神学と人類学―ネガティヴ・ハンド―との連続性のなかで捉えていくひとつの理由は、恐らく、両者のイメージの発生の起源に<息を吹く>という身ぶりの類似性を見出すことができるからである。一方は旧約聖書に登場する(『創世記第2章7節』―「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった。 」―)に登場する人間に生命を与える神の息吹。他方は、口に含んだ顔料を吹き散らす際の息。それによって手の刻印がネガとして出来上がる。モンザンは、この自己と自己の分離(手の痕跡)の中にイメージの発生と、自己の誕生を位置づけるのだが、ここで息を吹くという行為は、イメージを生み出すきっかけになっている。その他にも、「息を吹く」モチーフは、ギリシア神話などにも見られる(例えば、ヘパイストスが作った女の像に、ゼウスが息を吹き込み生命を与えるとか。ボッティチェリの『春』などに登場する西風の神ゼフィロスと、妻花の女神フローラの息とか。。)いずれにしても、息を吹くことが、何らかの対象に生命を与えることを意味しているのであり、モンザンは、息を吹きかけられることによって、事物が何らかのイメージとしてたち現れる、その瞬間をまずは議論の出発点として問題にしている。

そういえば、明後日表象文化論学会で発表だった。
http://www.repre.org/conventions/6/