グローバル・スタディーズ講座

西谷修さんのレクチャーを聴講。
戦争・経済・メディアという観点から、如何にして現代の戦争(テロとの戦争)がこれまでの戦争とは異なり、戦争を自己肯定的に承認するグローバル的な戦争へと変っていったのかを批判的に考察している。その最も、重要な契機となったのは、一神教的なキリスト教とグローバルな自由経済だった。イスラム的世界の革命は、キリスト教にとってはある種のトラウマとして残ったのであり、それを<テロリズム>(「テロ」と言うのは日本語だけ)と規定し、国と国と言うこれまでの戦争形態から国対テロリストへとスライドさせることによって、テロリスト=悪といううロジックを形成した。またテロからの開放としての正義の戦争を保障するのが、経済競争によってよりよい<クリーンな戦争>を可能にする軍産複合体制だった。それは、まさにロマン主義的な「小説」でもあるかのように、演出された戦争。
視聴研究会のマニアな研究という批判は、西谷さんのような研究には向けられることはないではないかとふと思う。西谷さんのグローバリズムに対する真摯な批判は、たんなる研究という限られた領域にに留まることなく、より広範囲な人々に向けたメッセージである。こう考えると、マニアな研究会というのは、その研究を選択する趣味の問題なのではないかといえてしまう。私自身の研究の出発点は、哲学的な議論をしたいと思っていたので、逆になぜ何らかの対象(モノ)を扱わなければならないのかというのがよくわからなかった時期がある。モノの本質はそこにはないと思ってた。言ってしまえばプラトン主義。しかし何時ごろかモノを扱うことが非常に楽しくなってきた。そこにあるのは、その人のフェティッシュ的なモノに対するマニアックさだったように思う。研究するモノに対する愛のない研究はつまらない(哲学に対する愛も十分あるが、自分の無能さゆえにどうもそれにはなれなかった)。もちろん出発点がそれであったとしても、研究あるいは議論するという段階なると話は別で、その境界を意識していない単なる<モノマニア>よけいたちが悪い。