オリエ

■La prise de la Concorde ,Denis Hollier,“L’article《Architecture》”pp.91-106を読み終える。
→オリエの論旨は次の三点。
ヘーゲル理論の否定
建築を社会のあり方を一元的に表現するものとして否定。反対にバタイユは、いかなる者にも還元不可能な異質的な存在(他姓)を主張する。
バタイユのマネ論
建築の構造の基礎となる骨組み/骸骨は[le squelette]は、本来物理的に変化する肉の変化(腐敗・変色)を全く無視している。言い換えると、「人間にとって建築は、死が影響を及ぼすことがないものにしか固定[抑止する/考慮するretenir]することはない」(オリエ)。それに対してマネの「オランピア」などの絵画は、そのような歴史性を全く無視した建築的構造に対して、人間の身体が腐敗し、死を喚起するような絵画を描く。
バタイユの歴史性(ニーチェ)
 そのためバタイユにとって、建築的構造に基づく歴史性は、あらかじめ前提された時間(労働の時間)想定する。しかしそのような時間は、全く現前性を欠いた数学的に計算された時間に過ぎない。これがダミッシュも認めるバタイユの現前性だということができる。(参考:ニーチェ「私は未来についての無知を愛する」(『悦ばしき知識』287節))

建築とは、人間の容貌が個々の存在の表現であるのと同じように正に社会の存在の表現である。・・・容貌や衣裳でも、音楽や絵画でも建築的構造がモニュメントの以外のうちに見出される度に、人間や神の権威の主要な趣味が推察され得る。(バタイユ「建築」Documents ,no.2,1929)

こんな感じ。・・・今日はバイトなのでここまで・・・もう少しちゃんとまとめます。