20年代シュルレアリスムの画家たちは、シュルレアリスムの理念である絶対的な自働記述に応じるための技術的な手段を多く用いる。彼らは、そのような技法によって、「カンヴァスの表面へ無媒介な感覚を刻み込もうとした」。しかしながら、ブルトンにとって、シュルレアリスム的絵画とは全く別なものであった。むしろブルトンがイメージに対して示した関心とは、「視覚的なものや絵画を言語活動として考える」ことにある。言い換えると、「ブルトンのイメージに対する考え方は、本質的に言語的」なものとなる。その具体例として、マグリットの作品が挙げることができる(『シュルレアリスム宣言』no.12)。その結果ブルトンはイメージを抽象化された語や文字と類似したものと考えたため、イメージのリアリティを完全に断ち切る。
それに対して、『ドキュマン』も含めて、カール・アインシュタインの主張は、全く別のものであった。アインシュタインは、『ドキュマン』におよそ3つの論文を掲載している。「パブロ・ピカソ1928年の幾つかの絵画」(no.1)「アンドレ・マッソン、民俗学的研究」(no.2)「キュビズムに関するノート」(no.3)そこでアインシュタインは、一貫して幻覚[hallucination]を問題にする。ピカソにおいては、構造地質学的幻覚に基づく構造を問題にし、またマッソンに関しては、構造地質学的形態に基づく芸術家の幻覚的投射の組織化を問題にする。
ここで注意すべきはアインシュタインが、この幻覚を主体から完全に切り離された自律的なカテゴリー(形而上学的なもの)とみなすのではなく、より実践的経験的なものとして捉えているということである。特に「キュビズムに関するノート」では、幻覚と知覚の関係を弁証法的に捉え、その統一された場として(キュビズム的)絵画作品を捉える。言い換えると、アインシュタインキュビズムを無意識(=幻覚)と視覚(=知覚)の複雑な関係によって、「芸術作品の殺人的な力」が生み出されるような芸術とみなす。このようなアインシュタインの分析から著者は、アインシュタイン弁証法的な思考を、バタイユのアンフォルムの概念と結びつける。(その結果アンフォルムも弁証法的)。
 その後ブルトンは、『ミノトール』(1933−36)、「シュルレアリスム芸術の発声と展望」(1941)において、バタイユのアンフォルムの弁証法的な思考方法を取り入れ、これまで否定してきた作品や芸術家を再評価していく。
【以下著者の結論】

厳密に従属的なシュルレアリスムの二つの雑誌の間で、『ドキュマン』は学問的芸術の歴史を、また形式主義的格子や象徴主義的な霧などのフランス本土の美学的論争を浮かび上がらせる哲学や認識論を、フランスに導入したのである。シュルレアリスムのライトモチーフ(原始主義、無意識、想像力)の理論的再評価を行うことで、『ドキュマン』はシュルレアリスム的絵画に30年初頭の肯定的なその再評価を可能にするひとつの解釈を導いた。