Against Architecture: The Writings of Georges Bataille (October Books) まずオリエは、この章のタイトルとなっている「〈sur/on〉=〜に関する」の意味について述べる。オリエによれば、〜に関して「記述すること」、「語ること」、「研究すること」とは、その対象にある確固とした形式を与えることを意味している。つまり、ディスクールとは、対象に形式を与えることによって、初めて認識され、展開されることが可能となるのである。学問や哲学とはこのような確定的な形式を与えることによって始まる。それに対して、バタイユはこのような形式に真っ向から反抗する。
この一方で、オリエはもうひとつの異なった視点からバタイユを捉えている。それは語[mot]と意味[sens]という言語の問題。オリエによれば、ある対象に意味を与え、名前を与えることは、同時にその意味のリスクを負うことになる。その例としてオリエは、ソシュールのSa/Seの言語モデルアナグラムを挙げている。オリエが反論の論拠としているのは、レリスの「用語辞典」(1923『シュルレアリスム革命』)と『ドキュマン』の「批評辞典」である。特にバタイユの論文「アンフォルム」で主張された、語=意味ではなく、語=働き[besogne]がその中心的な考え方となる。これによって、オリエは語における意味と働きを区別し、言語を実践的に捉えている。つまり、ある語をひとつの固定された意味として理解するのではなく、言表行為によって我々に様々に働きかけるものとして捉えている(ジェイは、この関係をconstative meaning/performative meaningとして主張している。)
ではアンフォルムという語の「働き」とは何か?ここで問題は2つ。まず、辞書的な法則によってこの「アンフォルム」が単にフォルムの反対語として提示されたということ。これによって、フォルムがアンフォルムを含んだ語として言うことができ、語=意味という考え方が否定される。次に、アンフォルムの内容の問題。ここでオリエは形式と観念とを結びつける。バタイユが主張するように、「アンフォルム」とは、「何者にも類似しない」ものでありながらも、「何か」であるという矛盾した語。先に述べたように、オリエはこの語を言表行為として実践的に捉えている。たとえば、「アンフォルム」という語が発せられたとき、その語自体は、なんら確定的な意味を持っていないため、何か矛盾したものとして何ら意味=観念となることはないのである。またこれは「bas」という語においても同じこと。このような方法によって、バタイユのアンフォルムという語は、形式/意味/観念を完全に退けたというのが結論。
『ドキュマン』の「批評辞典」では、このような「アンフォルム」な方法によって、語が毎号説明される。そしてそのはじめの号が「建築」というタイトルで始められる。