プロスペクトに。

1930年当時、フランスでは民族誌は、戦争の影響と同時に当時の文化を相対的に捉えさせる契機となった。それはよくわかる。だがカール・アインシュタイン関係の著作を読んでいると、話がどうしても民族誌の話に偏ってしまう。そこでは、ボワファールの足の親指の写真はほとんど問題にはされないように思う。つまり当時の大衆文化(映画、写真、広告)の議論が抜けてしまっている。それにはアインシュタインがそうした大衆文化よりも(一度だけ書いているらしい)、特に絵画(マッソン、ピカソ)を中心に論じたという理由がある。こうした絵画を中心にして論じる方法は非常に古典的とも言える。対してバタイユは、ボワファールやロタール、あるいは舞台女優の写真といった大衆文化に眼を向けている。こうした乖離をつなぐことができるのが雑誌(『ドキュマン』)というメディウムだと考えることができる。ここでid:morohiro_s(http://d.hatena.ne.jp/morohiro_s/20051110)サンにとってのメディウムが「観光芸術」であるのと同じように、私にとってのメディウムは雑誌だと考えることができると思う。つまりさまざまなコンテクスト寄せ集められた『ドキュマン』という雑誌は、「真正性」の問題や「異種混淆性」の問題を議論することができるメディウムなのである。
だが問題なのは、『ドキュマン』が他の雑誌とどう違うのかということ。というのも、当然、どんなものでも、雑誌というメディウムはさまざまなコンテクストを混在させて成立している。実際民族誌に関する記事が掲載されたのは『ドキュマン』だけではない。シュルレアリスムの雑誌にも当然のように民族誌的な写真が掲載されている。
ここで考えるべきは、雑誌の編集方法やイメージの提示のされ方である。それと同時にバタイユアインシュタインも考える必要があるのかよくわからない?)の視覚の問題ではないか。
→こんな感じでプロスペクトを考えるも、原稿は一枚も書けず。…やばいな。