アンフォルム

クラウスの「Corpus Delicti」でのアンフォルム(バタイユ)と「No More Play」でのアンフォルムの使い方の違いがなんとなくわかった。前者の論文はシュルレアリスム写真をバタイユのアンフォルムの考え方に基づいて分析しているのだが、ここで問題なのはアンフォルムの垂直性/水平性、無方向性(ラビリンス)のこと。ここでのアンフォルムは、後者の意味論的なアンフォルムとは違う。後者はバルトが指摘するような、価値の範列を無効にする装置(=besogne)としてアンフォルムを用いているんだと思う。決してこのようにきっちりと分けることができないが、「アンフォルム」という用いられ方にそれぞれズレがあるのに注意するべき。