シュルレアリスムと絵画

■クラウス「シュルレアリスムの写真的条件」を読み直す。ある人曰く、彼女の論文は、そのときの関心に応じて読む度に別な何か発見があるらしい。…まるで昆布のような論文だと思いながら読み返す。
今回気になったのは、ブルトンの写真に対する態度。確かに彼女の言うように、写真は「痙攣的な美」のようなシュルレアリスム運動を体現することができる最も重要なメディア=雑誌(テクスト+イメージ)のひとつである。ところで、ブルトンの以下の文章は、どのように理解すべきなのか?ブルトンは、マン・レイについて論じながらプリント写真について以下のように述べる。

プリント写真をそれ自体として考えた場合、なるほどこれは、最も貴重な交換の品(objet d'echange=商品)のひとつとなるにふさわしい情緒的価値を備えている。(いったいいつになったら、すべての価値ある書物が、ドローイングによって図解されるのをやめ、ただ写真だけを添えて現れるのだろうか?)
ブルトンシュルレアリスムと絵画」

→交換の品(objet d'echange=商品)とは何なのか?写真が交換対象となるほどの価値を持ったということなのか。すなわちこれは、ブルトンにとって写真は芸術=交換価値となり、これは言い換えると、ブルトンシュルレアリスムそのものが交換価値的要素を含んでいるということを意味していることになるのではないか?