面接試験

今日は面接試験。
痛いところ全部突付かれる。
→一番反省すべきはバタイユ民族誌の問題。つまりバタイユの他者の問題とシュルレアリスムの他者をもっと的確に説明すること。つまりシュルレアリスムによる他者とは簡潔に言うと「内なる他者」であり、それに対してバタイユのそれは、「異質学」という言葉で示されるまったく別なる他者である。バタイユの理論は、その認識不可能なものを認識しようとするパラドックスを抱えている。ここで一見するとシュルレアリスム的なイメージでしかない「足の親指」写真がバタイユ民族誌の問題と結びつく。逆に言えば、そのパラドックスを解消する方法として、『ドキュマン』の写真イメージがある。つまりそこでパフォーマティヴに体験される読書体験こそが、バタイユの他者認識の方法として実践されたと考えられる。さらにそれはバタイユのエロスや供儀、あるいは聖なるものと結びつく。バタイユのこうした理性的には認識不可能な言葉(パラドックスを抱えた言葉)も、「足の親指」写真と同じような次元で把握しようとしたのではないか。この観点から分析していけば、なぜ自分がバタイユのテクストの中でも『ドキュマン』を選択したのかも、もっと詳しく説明することができる。
これにはまずバタイユ民族誌の関係を勉強すること。手始めとしてレヴィ=ブリュルとこれを批判したレヴィ=ストロースの文献を進められる。
それと、それぞれのタームにもう少しこだわること。
→とくに「フェティッシュ」「スペクタクル」「劇的」(それと「アンフォルム」も)という言葉は、かなり調べる必要がある
あとは、相変わらずフランス語の綴り間違い多し。