「侵犯行為への序言」

ニーチェの驢馬の話に対するフーコーの解釈

侵犯によって乗り越えられた限界のうちに、異議申し立ての諾(ウイ)が響きわたり、それはニーチェの驢馬の「イヤー」をコダマのないままに放置する。
ミシェル・フーコー「侵犯行為への序言」

精神分析的にいえば、「否認」のことなのか。よくわからん。