バタイユで弁証法的議論

■ゼミの日
今回は、バタイユの「内的体験」をとりあえず押さえるのが第一の目的。マーティン・ジェイの議論を基にして、それに補足を加えつつ説明し、その後の展開として、例の処刑写真を取り上げる。
問題としては、

  • バタイユ的な用語をどう説明し、それを使って次の議論につなげるかということ。
  • 「experience」という仏語を「体験」「経験」のどちらに割り当てるかをそれぞれの文脈で考えること。語源のラテン語をどう活用するか。
  • 章ごとのつながりを持たせること。
  • 写真論については、単に反ヘーゲル的アプローチでは単調。

今回も恐らく、議論全体をシャッフルし、逆から語る(写真論からはじめる)ほうがよかったと思う。これはタイム・オーバーのため断念した。…議論が弁証法的て?…それは否めない。もうひとつアプローチが欲しいところ。