文芸学研究会へ

■文芸学研究会と称して神戸女学院に行ってきた。
オープンキャンパスもやっており、ついでに案内してもらう。
それはさておき、一本目は、DHロレンスの『虹』における詩人テニスンへの言及意義とは何かというものだったが、簡潔にいうとテニスンとロレンスではある種の時間的空間的断絶が生じており、ロレンスがテニスンを引用することによってその断絶をより明確に意識していたのではないかということ。問題は、それぞれの言葉(「無限」)を同じ次元で捉えようとして、その差異があまりにはっきりしすぎてしまい、反対に両差の差異が見えなくなってしまったということ。
もう一つは安来節。民謡を単に民俗学的な観点から捉えるのではなく、その実践からもれ出るものを安来節の権威化、都市の進出、それとともに起こった観光、その他絵葉書などのメディアから捉えていこうとするもの。これは面白かった。聴講者の意見によると、当時の観光広告の一貫で、物語りつきの観光映画(15分ぐらい)があるらしく、ちょっと泣けるものらしい・・・。これは見てみたい。
気になったのは、当時の都会のゴミゴミした世界を忘れ自然を求めて良く観光に関して、以前拝聴した京都観光(古都)と山陰観光(田舎)ってどう関わってくるのか、あるいは、どう違うのか。当時出版された旅行雑誌(『旅』)には、「自然児」としての日本民族の起源を忘れてはならぬとして、自然に帰るために田舎への旅行が宣伝されている。では京都って何のために観光すべしといわれていたのだろうか?
それと自分のメモとして「ツーリスト」と「トラベラー」は区別しておくこと。