美学会が終わりまして2

美学会の後処理
Carl Einstein in Documents: And His Collaboration With George Bataille
これの読んでいなかった部分をとりあえず全部読み終える。主張は変わらず、バタイユ/アインシュタインの関係が中心なもんで、いい加減飽きたので次にいく。
アセファル関係の論文を探すこと。
■トーマス・ヒルシュホン<バタイユ・モニュメント>と
美学会の発表に関して言えば、質問にもでたように単にバタイユのアセファル的な「共同体」論で分析していくというよりも、本来の目的であるドクメンタという芸術祭の要素を議論するほうが先だと思う。そこからバタイユの議論をもう一度組み込めばもっと面白くなると思う。ただしヒルシュホンの作品は全部、バタイユ論のパロディという感じしかしなかったし、恐らくそう論じるべきだと思う。バタイユの議論をまじめに踏襲しても駄目だと思う。
ついでにヒルシュホンと村上隆を論じた論文を読む。
村上の戦略的なマーケット市場の進出が如何に西洋的なハイカルチャー市場を土台にして展開されているかが議論されていた。一応それに対抗するのがヒルシュホンのドクメンタでの<バタイユ・モニュメント>ということらしいが、あまりにも議論が単純だし、第一なぜヒルシュホンなのかがよくわからない。他の論文を探すことにする。