第七回視聴覚文化研究会

第七回視聴覚文化研究会〜修論卒論発表会〜
卒業生ではないが、まぎれて発表させていただく。
「雑誌『ドキュマン』における人間の姿―ジョルジュ・バタイユにおける形態の弁証法について―」
バタイユにおける人間主義的な形態への批判を、とくにシュルレアリスムとの比較によって見ていくことが今回の主な内容だった。問題点としては、第一に「モンタージュ」という言葉の使い方。これは、決して明確に定義されたものではないが、それでもいくつかの分類をしていくことが必要。とくに写真におけるモンタージュ(フォトモンタージュ)と雑誌のレイアウトにおけるモンタージュエイゼンシュテインにおけるモンタージュなどは分類できるはず。第二に、「フォルム」というものを一義的に規定してしまい、(語弊があるかもしれないが)本質的なところでフォルムをどうあつかったのかということが曖昧。それと「マチエール」の関係ももう少し分析する必要がある。総括すると、フォルムに関して後期著作のエロエロな部分にも眼を向ける必要があるのではないかということ。第三にバタイユの議論の多くが人間的形態に関するものであるなら、それは逆に「人間主義的な議論」へと逆戻りしていることになるのではないかということ。つまり、なぜその時代そこまでシュルレアリスムを含めバタイユが「人間」や「人間的的形態」にこだわったのかということ。シュルレアリスムの場合は、よく戦争体験とかがあげられるが、バタイユベンヤミンと同じように結局戦争にいってはいない(無関係ではないと思うが)。精神分析な解説もどうかと思うし。