■『FORMLESS』「Abattoir」を簡単に説明。
『ドキュマン』では、「屠殺場」の写真とその他いくつかの写真を除いて、死を思わせるような残酷な写真はほとんどない。というのもバタイユは「屠殺場」において問題としているのは、暴力そのものではなく、その暴力の抑圧[repression]を問題としている。寺院がはじめ、宗教の場と屠殺の場が入り混じった場所(聖−俗の交差した場)であったにもかかわらず、現代では、暴力や死を思わせる[屠殺場」は人間の生活から完全に隔離され、遠ざけられている。それによって、人間は、上―下、高貴―卑俗、聖−俗のような二項対立を設けてしまう。
このような議論から、「足の親指」「素朴絵画」を基に〈低い唯物論〉の議論へと至る。バタイユの低い唯物論では、如何なる昇華による置換えも行われず、すべてが変質[alteration]する。またドゥニ・オリエに従えば、バタイユの「置換え不可能なもの」=変質[alteration]とは、フロイトの「性欲三論」をモデルにしている。しかし、注意しなければならないのは、フロイトが、エゴの形式化において抑圧の昇華的な機能を主張するのに対して、バタイユは、如何なる昇華も認めない。変質は、全く別のもの[tout autre]へと変る。したがって、変質は「聖なるもの」を生み出す。がその「聖なるもの」はまた、スカトロジー的なものとも呼ばれるものにもなる。