ゼミ発表

■ゼミ発表。一人目は川俣正。彼は、「進行中の作品」あるいは「発展していく作品」を作るために、ワーク・イン・プログレス(work in progress)という言葉を用いる。それゆえ、地元住民や政府など、単に作品を創造するだけでなく、その作品過程の中で生まれてくる他者との関係性をより重要なものと考える。そこで「アート」は如何に機能するのかが問題。だがそう考えると、外部者(=川俣)が、いきなりある共同体に介入し、強制的にコミュニケーションを要求しているとも考えれる。それが結果として、「発展していく作品」となるが、では「誤った作品」、「失敗して発展した作品」というのはないのだろうか。川俣がコミュニケーション(関係性)を要求するれば、全てが成功するというのも奇妙な話。確かにアートに基づくcommunicationは重要だと思うが、それと同時にその関係性を拒むdis-communicationも重要ではないかと思う。誰かが「啓蒙的」というのも、部分的には納得。選択の余地ぐらい与えてはいいのではないかと思う?
■もう一つは自分の発表(バタイユ)。色々書き直そうと試みたが結局写真研究会と同じ内容を発表。初めてプロジェクターを使う。何度となく、バタイユについて発表しているが、カント氏の指摘は厳しい。その度ごとにカント氏は、バタイユがロマンチストであり理論家としては甘いと言う。バタイユの理論は、まず第一にロマンチックであり、その夢心地の中で構築される。そのため、バタイユ理論は、ロザリンド クラウスのラディカルな理論には到底及ばないという。何となく納得。何とかその夢心地から抜け出そうと試みるが、まだまだ甘いらしい・・・それは毎回の目標。どれだけバタイユをラディカルに提示することができるかが問題。・・・それは別としてとりあえず、クラウスからは当分手を引かしてもらいます。分からない部分があるがそれは当分お預け。「ラディカルな」クラウスの議論に振り回された2ヶ月だったような気がする。・・・疲れた。文化解体の想像力―シュルレアリスムと人類学的思考の近代
→まず始めに『文化解体の想像力』を読み始める。