読書会

■第二回読書会。
"Photography A critical Introduction",Edition by Liz Wells,
chap.4."Construction of illution:photography and commodity culture"
→広告写真においてもっとも用いられる手段のひとつがモンタージュであり、それによって人間と人間の関係が人間とモノとの関係へと変形される。このような議論を元にバルトの記号論へ。バルトにとって広告写真は、人間関係を商品化するイデオロギー的な操作を含む神話形態である(「写真のメッセージ」)。本文にはないが、バルトにとって問題となるのは、このようなイデオロギーあるいはドクサから如何にして逃れるかということであった。
でも、僕や同世代の人にとってイデオロギーってそんなに強力なのかと不思議に思う。むしろ「イデオロギー」を今の社会に適応するのにはいくらか無理があるのでは…バルトの世代と僕達の世代にはやはり決定的な世代のギャップがあるような気がした。1968年以降に生まれた世代の人には(僕だけかもしれないが)、「イデオロギー」という言葉に馴染まないのではないだろうか。(「イデオロギーから逃れる」という議論から逃れる議論を考える必要があるような気がする。)高校時代に読んだ村上龍限りなく透明に近いブルー」を何となく思い出す。
フロイト。今日はお休み。夜はバイト。