ベルクソン笑い (岩波文庫 青 645-3)』第1章4節
ベルクソンにとって笑うべきものとは、人間のしなやかさが欠けた社会や精神の「機械的なこわばり」のようなものであり、そのような笑いは、しなやかさを欠いて機械的にこわばって留まっている人に弾力性と社交性を獲得させる。したがって「笑いは(…)完全的完成という実用的目的を追求している」ということができる。
注目すべきは第4節。ベルクソンは、パスカル『パンセ』を引き合いにだし、笑いの例を二つ挙げる。ひとつは機械的類似による笑い。もうひとつは反復的な笑い
ベルクソンはこれが本当に生きている生にとっては起こりえないという理由によって笑うべきものとしている。
これはかなり重要なこと。問題点

  • ベルクソンはここで空間的な関係である類似と、時間的関係である反復を同じレベルで扱っているということ。
  • 今現在、反復/類似を笑うことができるのかということ(チャップリンの映画を笑うのか)。
  • 何故、ベルクソンは反復/類似を笑うべき対象にするのか(社会のしなやかさをせき止めるものとして、類似/反復を恐れていたのかもしれない)。
  • 当時の文化的背景も調べると面白いはず。ベルクソンにとって「機械的」あるいは「類似/反復」とは実際には何をさしていたのか。