Fotografia pública—Photography in Print 1919-1939,Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia,1999をの序文を読む。
1918〜1930前後の「雑誌」に関する展覧会カタログの序文(イタリア語と英語)
著者:Horacio Fernandez
【マトメ1】(長いマトメになってしまった。)

本序文では、およそ第一次大戦以降から第二次大戦までの写真の動向が主な内容。1918年前後、写真は主に絵画や版画と同じような芸術のひとつとしてみなされていたが(例:スティーグリッツ)、徐々に写真特有の性格(鮮鋭性など)が注目されるようになり、写真家はできる限り信頼の足る情報、つまりストレート写真を撮影しようとした。その過程のなかで、絵入り雑誌はその写真の提供場所として機能した。ここで問題となるのは、「絵の「技術」や芸術作品の研究を放棄したことで、写真家の注意が、場面やかれら自身の主題の発見に向けられた」ということ。というのも、現実の出来事を捉える写真自体はつまらないものになってしまうために、写真家そこに独自の視点、対象、構成を見出す必要があったからである。
その最も顕著な例が、1910年代頃から活発になるベルリン・ダダや他のアヴァンギャルド達のフォトモンタージュである(例:ハートフィールドなど)。またソヴィエト共和国においても、同じように、シクロフスキーの『レフ』などの雑誌によって写真的モンタージュを行う。両大戦間において、このような技術は、新しい郊外や産業文化を表現するための最も優れた技術となった。またその技術は、芸術的過程とともに行われる。なぜなら、このような芸術的過程によって機械産業や文化が一般の人々に受け入れられることが可能になるからである。それによって問題となるのが、形態/機能の問題。コルビジェは建築において機能美を問題にしている。