Fotografia pública—Photography in Print 1919-1939,

簡単に言うと、当時の産業文化や都市(あるいはイデオロギー)が、写真という新しい技術(ストレート写真)を、芸術が中間項として作用することで、一般の人々に受け入れられたということ。これによって写真は、機能的形態を持つ科学的客観性を獲得する。そのなかで、雑誌はひとつのメディアとして機能していた。特に両大戦間においては、戦後の復興による産業技術の発展に伴い、印刷技術、写真技術、都市開発が連動して展開され、雑誌はそれらを繋ぐメディアといして大いに役立ったのである。
この序文では、そのような写真の客観性に対する否定的な側面も補足的に書かれている。それは、レンガー・パッチュ『世界は美しい』に対するトーマス・マンの反抗のように、写真の複製性の問題。ここで著者は、ベンヤミンとクラカウアー(1927年??著作は分からん)を引用していることも注意。

【問題点】
→フランスの都市やシュルレアリスムの雑誌に関する記述が少ない。著者は、このような運動に国境などないと言っているが、それでよいのか?