雑誌と建築的要素

フランスにおいて1930年前後に出版された様々な「雑誌」に関して、このように考えることができるのではないだろうか?
→1930年前後、第一次大戦からおよそ10年が経ち、およそ戦後の混乱から立ち直りつつあるパリにおいて、全てのものを失った人々は、その復興のために従来とは異なる新たな力を求めた。人々はそれを新しい産業技術、文化、また新しい都市空間に求めた。
その技術は、これまでの伝統的なものとは異なり、より建設的、機械的なものであった。例えばル・コルビジュエの『エスプリ・ヌーボー』による新しいパリの建設の試みや、モホイ・ナジによるニュービジョン(クルル『メタル』)など。
この過程のなか、同じように印刷技術も向上する。そのなかでグラフ雑誌(『N.R.F誌』などの文学雑誌も含む)は、新しい技術を大衆に伝える新たな媒体のひとつとして機能していた。
その結果当時の雑誌は、産業技術と同じように戦争による混乱から人々を新しい世界へと導くひとつの指針となり得たのではないだろうか?言い換えると、「雑誌」というものも、新しい技術と同じように、何らかの「建築的要素」を含んでいたということができるのではないだろうか?