ディディ=ユベルマン

shirime2005-08-22

朝から雨降って、足元見たらカタツムリ。
→しばし観察してみたけど、あんまり動かない。当たり前か・・・。
■ディディ=ユベルマンの文章をいくつか読む。
→「コンタクト・イメージ」を読んでも思ったのだが、彼は『ドキュマン』における写真について多く言及しているのだが、この雑誌についてはほとんど語っていない。例えばバタイユの論文「工場の煙突」に掲載されたキー・ストーン社の崩壊しかけの煙突写真に関して言えば、バタイユの概念を中心にして形態の解体、腐敗、つまりアンフォルム的なものとしてユベルマンはこの写真を読み解く。最終的にそのイメージは、「人間の姿」でバタイユが主張した人神同形論の否定として、またさらに解体や腐敗の徴候を引き起こすものとして理解される。

だが、よく考えると、彼の議論は別に「煙突写真」でもハエ写真でも何にでもいえてしまうのではないだろうか?逆に言えば、ユベルマンの議論では、何故キー・ストーン社の写真なのか、またそれがどういう文脈で語られてきたのかということは全く見えてこないのである。それはボワファールの写真も同じ。彼の写真がシュルレアリスムとどう関係するのかは全く問題外。
これは個人的な問題だが、クラウスのシュルレアリスム論とユベルマンの議論があまり結びつかないのはこのような理由からではないだろうか、てな愚痴をついこぼしたくなる。