今日で一応終了。簡潔に言うと、ヴィドラーは、チャンドラーなどの小説にみられるロサンゼルスという都市空間に広がる犯罪の偏在性を基にしてバタイユの反モニュメンタル的、反幾何学的、反建築的要素を位置づけたかったのだと思う。そこにおいて空間とは、決してヒエラルキー的に分類されるような連続的な場所ではなく、常に分類不可能な非連続的な場所なのである。後半は、それを『ドキュマン』のイラスト(たとえばチンパンジーの写真にあるような「空間の分割」=つまりおのおのの場所に見合った象徴的なイメージが非連続につなぎ合わされているということ)によって例証している。
よき論文だとは思うのだが、