ジャン=リュック・ナンシー講演会

shirime2006-04-19

■ナンシーの講演会に行ってきました。
一神教は唯一の神を求めるがゆえに、神そのものは不在の神として、さらにはそこから単なる原理として神を表象してきた。しかしこうした神を自己のうちに認識するために、一神教は神を現前させようとするが、それは結果として神という原理を否定するというトートロジーに陥る羽目になる。タイトルの「無神論と一神論」というのは、その一方が、何も原理をを持たず、他方が唯一の原理をたてることによって、互いに自己のアイデンティティを形成してきたものを意味するものである。それゆえ、一神論とは、多神教というよりも無神論をその内部に含んでいることになる。すなわち近代以降の社会が形成される中で生み出された個人にとって本来無神論/一神論とは同じ危険を常にはらむことになる。現代においてこうした二項対立を越えるような、多元的な社会・共同体を求めること、それがナンシーの主張したいこと。…かな。一晩寝てよく考えると、この一神教/無神教の乗り越えとは結局のところ、ヘーゲル的な弁証法からの脱却であり、それをバタイユ的な異質性によって行うということだろう。
後討論会での西谷修話によれば、デリダはナンシーが「大好き」だそうである。それを見ていた人〔西谷〕が恥ずかしいぐらい「J'adore」だったそうである。最近出たデリダの触覚本は、まさにナンシーに触れたいという思いがつまっているとのこと。
■裸俗ヴァッサー
ついでにフンデルト・ヴァッサー展にも行ってきました。
→絵画や版画がほとんどで、少し期待はずれでした。それと、何故かヴァッサーが裸のシーンが多かった。これも自然と人間を主題とする裸俗ヴァッサーの意志そのものの表れなのでしょうか。
結局終わったのは夜の8時ぐらい。帰りは西院の天一でラーメン食って帰る。濃い一日であった。