内的体験と存在


ちょっと気になったのでボワファールの足の裏写真をあげてみる。またいつか調べること。
■『内的体験』
これまで多くの論者によって論じられてきたが、それぞれの着眼点の微妙な差が何となくわかってきた。
そのなかで、研究者の一人である酒井氏は、バタイユの内的体験を「存在」の哲学となずけている。ところで「存在」と「体験」という言葉は、どうちがうのだろうか。