2006-05-14 内的体験と存在 ちょっと気になったのでボワファールの足の裏写真をあげてみる。またいつか調べること。 ■『内的体験』 これまで多くの論者によって論じられてきたが、それぞれの着眼点の微妙な差が何となくわかってきた。 そのなかで、研究者の一人である酒井氏は、バタイユの内的体験を「存在」の哲学となずけている。ところで「存在」と「体験」という言葉は、どうちがうのだろうか。