欲望を欲望することを欲望させる欲望

フェミニズム
の講読はひとまず終わり。論者はよき作品(メイプルソープなどがあげられる)がたんにフェミニズム論だけでは論じきれない、様々な解釈を必要とするという当然と言えば当然の理由で終わる。これからは日本語テクストを読んでいくことに。めげずにこれを推してみる。

サイボーグ・フェミニズム

サイボーグ・フェミニズム

バタイユの欲望についてのメモ

芸術においては、欲望はつねに立ち戻ってくるが、まず最初はそれは時間を排除しようとする欲望なのである。ところが、企てにおいてはただ単に欲望の放棄だけがあった。…それは労働であり、しかも成果を享受せぬ人間によって果たされる労働なのだ。芸術においては、人間は絶えず至高性に(欲望の偶発に)立ち帰る。そして、たとえ人間が、まず第一に欲望を廃棄しようという欲望であったとしても、その目的を達成したとたんに、欲望は欲望に火を添加するという欲望となるのである。
バタイユ『内的体験』「刑苦」

→欲望を排除すること、それは労働=企てと同じもの。