よくできたお話である

■『ドキュマン』文献の大枠を大体つかむ。
→『ドキュマン』のを3つの転換に分け、それぞれをバタイユアインシュタインの思想を中心に見ていく。第一段階では、アインシュタインバタイユは互いに思想的に対立した相互関係のなかで思想を成熟させていく。一方はtectonicという言葉によって、他方は「動物性」という言葉によって。それがおよそ第6号ぐらいまで続く。
そこに思いがけない外的要因が加わる。それがブルトンを中心としたシュルレアリスム。1929年12月15日に出版された「シュルレアリスム第二宣言」(12号)では、直接的にバタイユと、バタイユの『ドキュマン』論文への非難が掲載される。バタイユのそれに対する返答は、『ドキュマン』以外に『死骸』とういう雑誌の中で直接的に行われている。またそこに掲載されたブルトンの肖像写真のパロディは、視覚的にシュルレアリスムを批判することになる。その一方で『ドキュマン』のテクスト上でもイメージ上でも、直接的にシュルレアリスム批判は現れることはない。だが、それゆれに、バタイユシュルレアリスム批判を行っている。それはとりわけ写真イメージによって、例えばシュルレアリスムモンタージュをパロってみたりなどより陰湿な方法になっている。そしてこうしたバタイユの視覚的イメージの使用は徐々に『ドキュマン』において中心的な方法となっていく。それとともにアインシュタインの存在もこの雑誌から少しずつ薄くなっていく。
そして

・・・と非常によくできたお話。できすぎじゃない。