2006-10-28 読書会 ■まだまだ続くユベルマン読書会 フロイトの<形象性への配慮>から二次的加工を行い、<認識可能性への配慮>へ、という<筋>の段階的なドラマを、ユベルマンは<形象的止揚>となずける。ただ、ユベルマンが主張するのは、この聖骸布の場合、敷布に何らかの形を見出した瞬間からヘーゲルの言う「絶対知」ならぬ「絶対視」へのドラマツルギーが始まる。 基本的には、フロイトの議論に従っているが、そこから視覚の問題のみを引き出してくるのがユベルマンの議論の核になっているのだろう。ただわずかに議論が単調な気がしないでもない。この議論は結構いろんなところで使われている。形象の話になるとフロイトしかないの?て聞きたくなる。