心霊写真が怖いのは

shirime2006-12-11

心霊写真が怖いのは、
ある意味では、そこに映った霊の身体が、ある時には手や足、またあるときには半透明、またあるときには歪曲した身体というように、何らかの形で本来の人間の姿を欠いているからではないだろうか。もちろんここには見ること/知ることの視覚的認識のシステムが十分に関わっている。だがそれが幽霊だとわかった瞬間には、そこにはすでに「それが霊である」という認識が働いている。それでもやっぱり怖いのは、本来の人間の身体ではない断片的/半透明的身体が表象されているからではないだろうか。つまり「ないはずのものがあったり」「あるはずのものがなかったり」というときの「もの」というのは、結局身体のことではないかと思う(エクトプラズム現象とかは別だけど)。
ナダールの有名な顧客の話――他人の写った写真を自分の写真と間違える――からは、たしかに当時の歴史的なコードからすれば、顔の同定が如何に頼りないものだったのかということができる。しかし、これは裏を返せば、そこにはすでに写真によってコード化された人間の姿が、当時どれほど流通していたかということを示しているもといえる。つまり、顧客は、写真の人物(=自分ではない他者)が実際は本人でなくとも、それが人間の顔をした自分の姿だと同定することはできたのである。こうしたイメージへの自己同一化を困難にするのが、心霊写真である。だから心霊写真は怖いのである。
…とか考えつつ、明日はもう一度リベンジする日。