グラフ雑誌と芸術作品

■クラカウアー
は、論文「写真」において、当時グラフ雑誌の流行により、記事に添えられる写真の洪水ともいえるような氾濫状態について批判している。現在進行形で次々と写真が用いられることによって、カメラは、人間の認識に代わって世界を完全に再生する。そこで写真は、読者にそこに写る記憶を遠ざけ、オリジナルを想起させることはない。つまり、グラフ写真という装置は、そのオリジナルの対象には無関心であり、また同様に読者に対してもいかなる認識受けつけない、自閉したイメージである。
ここでクラカウアーは、こうした自閉的なイメージのあり方が、芸術作品にも当てはまると指摘しているんだが、これってダダのことなのかシュルレアリスムのことなのか、あるいはまた別なのか、はたまた、写真なのか映画なのかがよくわからない。これは調べてみるべし。