シュルレアリスムの欲望

シュルレアリスムの欲望
について考えてみる。コラージュ、痙攣的美、客観的偶然性などシュルレアリスム的な実践といわれるものは、結局のところ主体が対象に意識を向けることによって、本来あった秩序を独自に組み替えるシステムである。それというのは、言ってしまえば、主体の欲望によって生み出される。これを無意識の働きと同じものと考えることとはできないだろうし、フェティッシュも少し違うように思う。フロイトフェティシズムは、抑圧された性の欲動がある一定の対象に対して現れるものであるが、これをシュルレアリスムの実践に結びつけるのは無理がある。もう一つ、バタイユにおける欲望については、彼らのそれとはまったく違う。スカトロジカルな対象に対するバタイユの欲望には、主体の意志があるといえるが、同時にその意志を否定する。