著作権シンポ

著作権シンポに行ってきました。
現在において当然とみなされている作者-作品、あるいはオリジナル/コピーというのは、西洋の近代の美学的、資本主義的な論理によって生み出されたものにすぎず、その枠組み自体をもう一度問い直す必要がある。また増田さんが指摘していたように、こうした著作権問題が、美的作品と作者という美学的範疇が、著作権-著作物という法的、経済的範疇を奇妙に結びつけられ、混同されたまま議論されている。こうした著作権/著作者という近代的ロジックを回避するひとつの方法として、贈与による無償の交換論理が提案されたが、実際どこまではたして有効なのか疑問に思う。決して贈与的な方法が日本ではなかったというわけではない。例えば、江戸時代に新たに登場した「引札」による贈与システムとかはそれに当てはまる。あるいは、昔は作者自体がそれほど自分の作品に対して権利を要求するということ自体がなかった。しかし現代においてそれは可能なのか、例えば少し前に起こった絵画盗作事件とそれに対する批判というのは、そこに資本の問題が絡む以上、結局は近代的なロジックから抜け出すことというのが不可能なのだということ明確に示しているように思う。またもう少し議論を狭めて言えば、バッタモノやパクリやパロディによるコピー/複製も、ある一線を越えるとやはり叩かれてしまう(倫理的範疇を越えると駄目)。何となく一番納得がいったのは、最後の館長の言葉だったように思う。結局著作権の問題というは、作品が作者を規定しているのであって、作者が作品を規定しているのではないという。決して絶対的な効果はもち得ないが、モノ=作品が作者や、経済的、倫理的、社会的、文化的システムを規定するのに効果を持っているのは事実だと思う。