第八回視聴覚文化研究会

■視聴覚文化研究会・オムレツ大会
「視聴覚文化研究会」と看板立てたら、耳の聞こえない人のためのセミナーに来たというおばあちゃんが乱入してきた。ある意味正しい選択。
『オクトーバー』誌「視覚文化についてのアンケート」(1996)の議論を元に今一度、カルチュラル・スタディーズ、視覚文化研究をもう一度問い直すというのが今回の主な議論。回答として取り上げたのは、クレーリー、マーティン・ジェイ、ガニングの三者。クレーリーは、視覚と主体の生理学的な観点から、ジェイは主に文化的視点から、ガニングは自分のフィルム・スタディーズの立場からとそれぞれ論じる出発点は異なっている(そのため当然、vision=視覚という言葉の意味もそれぞれ異なる)。自身の研究上の立場のためか三者の中でガニングは、視覚文化研究に対して一番楽観的な態度を示しているような印象を受けた。それはいいとして、問題は視覚文化研究というのが視覚を普遍的コードとして様々な対象に当てはめ、すべての歴史的空間を連続するものとみなしているということ。その結果文化的、歴史的に世界を平板化して解釈してしまい、メディアや対象のそれぞれの特殊性が見えなくなっているということ。学際的な研究として登場したこの学問が、その学際性ゆえに境界なきものとしてどこにでも偏在し得る普遍的なものとなってしまっている。
今回の研究会で、一番の成果は自分の研究、あるいは研究会においてこの境界をはっきり確認できたというものではなかったかと思う。視聴覚文化研究という看板を立てている以上、自分の研究がビジュアル・カルチャーではないと言ったところで研究の学際的な部分は当然あるので、その境界線を意識してさえいれば、自分の研究が視覚文化好きといわれようが、オタクと言われようが問題ないのではないかと思う。その意味で否定も肯定もない。
それと、このアンケートの質問が十年前ということもあり、現在の文脈からは少しずれているところもあることを確認しておく必要もある。またこういう研究とそれに対する反動としての問いが出てきた当時の時代背景もきちんと抑えておく必要がある。1970年代頃からフランスで起こった従来の映画研究批判や、当時のマルクス主義イデオロギー論などは視覚文化研究が重要視される契機のひとつといえる。次回は他の回答も見てみたい。
◆その他にも何人かの方が感想を書いてくださっています。
http://d.hatena.ne.jp/yasuhamu/20070625
http://d.hatena.ne.jp/seventh-drunker/20070624
http://d.hatena.ne.jp/nobu0125/20070624