明日はパンプレデー

ロラン・バルトがこんなこと言ってた。

実際、われわれにとって<ヌード>とはひとつの造形的な価値、あるいはエロス形成的な価値を持っている。言い換えれば、ヌードは常に<形象を表そう>としているのである。ストリップがまさにそうだ。それは、表象のイデオロギーに密接に結びついた、なによりも形象としてあるような、まさに形象の中の形象なのである(『言語のざわめき』)

ヌードにはイデオロギーを含んだ造形的価値があるというケネス・クラークもびっくりなストリップ分析。どう考えてもバルトはストリップを男根的で、窃視症的な単なるヌードと同じように分析してしまっている。基本的に女性の性器は隠すものと考えている。しかし、踊り子さんが自分の体を観客に「誇示する」という、窃視症的なまなざしを突き返すようなストリップの舞台にはイデオロギー的な造形的価値などはもはや見出すことができないように思う。またバルトと反対にバタイユは、女性が衣服を脱ぐことを、もはや如何なる形象をももつことのない<裸性・nudite/nakedeness>へと曝け出されていると考えている。
ということで、明日はそれを確認するために神戸第一劇場。悲しいかな、明日が廃業日。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gam84224/index.html.htm