レポート2

■王の肖像と民衆の表象について

王の肖像―権力の表象の歴史的哲学的考察 (叢書・ウニベルシタス)

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太陽 [DVD]

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フーコーがパノプチコンや監視社会について論じてからというもの、文化論は往々にしてその監視国家論とそれに対抗するイデオロギー批判が多いように思うし、またそれから先が見えないような気がしていた。しかしもはや「国家−民衆」「監視者ーまなざされる者」という二項対立では、そのパノプチコン的呪縛からは抜け出せないように思う。むしろ問題はこうした対立の中で、民衆や権力者自身が如何にその状況を生きたのかということではないか。ソクーロフの『太陽』はそうした前提に基づく映画だと思う。日本国の大元帥(王)でありまた神である天皇は神聖性を放棄し、人間であることを主張する。それによって天皇に肉体と人間性を与える。この映画の『太陽』とは、闇から太陽が現れるように神が人間として国民の前に現れるといことである。それともうひとつ、この映画が面白いのは、そうした天皇人間性を表現するだけでなく、天皇自身が他者のまなざしによって人間から神になるという矛盾したプロセスも同時に描いているところにある。
シネマテック・フランセーズでのソクーロフの講演会
http://www.cinematheque.fr/fr/espacecinephile/evenements/integrale-alexandre-soko/soleil.html