フロイト『エロス論集』を読み終える。→メモ

・口唇期
フロイトは、性的に成熟する以前の小児のエロス的段階を前性器体性として分類。そこでは赤子の身体は、母親の身体との区別を持っておらず、言わばバラバラに切断された身体であり、その様々な部分で赤子は欲望を感じる。これが部分欲動であり、成人の性器的な欲望とは異なって、その欲望は統一的なものではなく、多形倒錯的に表れる。さらに赤子が自分の身体の統一性を把握していないということは、同時に自分の意識の統一性をも所有していないということ(ラカン鏡像段階〉)。
・肛門サディズム
子供が自体愛的な快を放棄しさらに高次の快を味わう能動的段階。ここで子供は、受動的に母乳を吸う存在ではなく、自分の排泄物を他者の要求に応じて「贈る」能動的な存在(糞便=宝=贈り物)。そして子供は、自分の愛する母親が喜ぶことを感じたことで快を獲得する。
・男根期
ペニスを中心にして、展開される性器的体制。性感帯=ペニス。ペニスは少年にとって母親の愛を獲得するための手段であるとともに、父親に切り取られる可能性のあるもの。つまりここで少年はまず去勢コンプレックスの恐怖を感じ、それを克服した後にエディプス・コンプレックスの恐怖を感じることになる。それによって他者や法が介入(ラカン〈象徴段階〉)。

当たり前のことですみません。あくまでもメモなので。ここで注目すべきは、クラウス及びアラン・ボワは、フロイトの肛門サディズム期におけるスカトロジー的なもの(フロイト「性格と肛門愛」「欲動転換、特に肛門愛の欲動転換について」)をバタイユのスカトロジーと結び付けている点。しかし、フロイトがそのスカトロジー的なものを昇華と結びつけるのに対して、バタイユは全く置換えも不可能なそのもの、つまり低い唯物論と結び付けている。しかし、バタイユフロイトの議論をどこまで引き継いでいるかははっきり示されていないような気がする。・・・次『自我論』。