■Sue Taylorの論文。ダダとブルトンを中心としたシュルレアリスムにおける雑誌に関することが、まとめて書かれている。
http://www.artic.edu/reynolds/essays/hofmann.php
シュルレアリスムの雑誌と『ドキュマン』の雑誌の差異をそれぞれシュルレアリスムの『シュルレアリスム宣言』(1924-29)、『革命に奉仕するシュルレアリスム』(1930-33)が政治的、あるいは革命に関する雑誌であったのに対して、バタイユの『ドキュマン』(1929-30)がアカデミックな(民族学、考古学、歴史学)雑誌だと特徴付けている。その後Albert Skira がブルトンに接近し刊行されたのが雑誌『ミノトール』(1933−39)。Albert Skira は、この雑誌を刊行するにあたって、これまでのシュルレアリスムの社会的政治的側面よりも芸術的・文学的側面を強調する。そのため『ミノトール』では、多様なイラストが用いられ、詩・映画・精神分析・哲学、民俗学などの領域が中心となった。
→『ドキュマン』のアカデミックな形態とシュルレアリスムの政治的な形態の差異を元にして、そこに用いられていた写真やイラストのあり方を見ていく必要がある。