大正イマジュリィ学会1日目

■大正イマジュリィ学会第2回全国大会に行く。
第一日目、飯沢耕太郎氏の講演。論点としては、大正時代における高山正隆・山本牧彦らの芸術写真から、それに批判的なかたちで成立してきた新興写真(名取洋之助など)へという歴史的変遷が主だった。つまりピクトリアリスムからリアリスムへ、自然から都市へ、絵画的から写実的へ、日本的写真(ロマン的??)から西洋的という変遷であり、その中間点としておそらく、淵上白陽が位置づけられる。しかしそこで問題となるのは、飯沢氏も終わりで少し語っていたように、欧米のモダニズムなどの影響を受けた新興写真以後の写真に至って、それまでの芸術写真が完全に否定され、排除されたと考えるのではなく、なんらかのかたちでその芸術写真がその後の写真形態へ痕跡を留めているのではないかということではないだろうか?恐らく単線的に芸術写真から新興写真へと捉えるには無理があるのではないかと思う。芸術写真・新興写真の混在した写真があってもいいはずではないか。
■質疑応答から。
芸術写真における雑誌(『カメラ』など)には「モダン」という言葉は、もちいられていなかったらしい。当時においては、芸術の表現手段としてカメラを持つこと自体が「新しいこと(=モダンなこと)」ではなかったのだろうか?それほど当時の人々に(べス・単派を含む)カメラが受け入れられていたのだろうか?それとも「モダン」という言葉自体が用いられていなかったのか?・・・それにしても「モダン」てよくわからない言葉(「イマジュリィ」もよくわからないけど・・・「イマジュリィ」って・・・)
■その後の懇親会にて。
ヒゲ先生によると僕が生まれた1980年代という時代は、何もない時代、グラウンド・ゼロの時代らしい。近代という時代を含め何もかもが完全に疑問視され、一度完全に語和算にされた時代だそうだ。そのことは何となく納得できる。しかしヒゲ先生は一度ゼロにすることで、そこから再び新たな芽が出てくると考える。最近そこからようやく新たな芽が出てきているように見えるらしい。しかし、確かにヒゲ先生が語るようにゼロは無限の可能性を生み出すことも可能だが、根底にゼロがあるってことは、完全なデラシネ状態ではないかと思ってしまう。以前も考えたように、僕達の世代は何のイデオロギーも持ち得ない世代なのだと再確認されたようでゾッとしてしまった。