大正イマジュリィ学会2日目

shirime2005-03-13

■大正イマジュリィ学会第二日目。佐藤守弘(京都精華大学)「伝統の地政学:世紀転換期における京都性の構築」
→1910年代に出版された大衆雑誌『太陽』はそれまでのテクストのみの雑誌とは異なって、テクスト+写真によって形成される。そのためその雑誌の読まれ方は、音読的、熟読的なものから部分的、一時的、消費的なものになっていく(現在の雑誌形態の原型ともいうことができる)。そこで京都の風景、あるいは京都そのものが商品として(京都性として)形成される。そこでは、京都(西京)=過去、ノスタルジア、伝統、無時間的、女性的、私的なイメージが形成されたのに対して、東京=近代的、工業的なイメージが形成された。てな感じ。
【疑問】
雑誌『太陽』によって京都性が形成される過程で、いつ頃それぞれのイメージが固定化されていったのか?つまり始めはひとつの対象を様々な視点で撮影していたものが、固定的な視点(ベスト・ショット)に、つまり典型的な「京都らしい風景」になっていったのか?
例えば清水寺

清水寺に行けばこの場所が、清水寺=京都を示す絶好のポイント。このような風景写真は、かなり京都性(私自身がこれぞ清水寺のイメージだと思っているのだが)が固定化されたものではないだろうか?というのも指摘にもあったように、バラバラなショットでは、そのイメージが京都なのか鎌倉なのか江戸なのか分からないものになってしまうと考えられるからです。
□「大正イマジュリィ」の「ジュリィ」は「ジュリー」こと沢田研二によるものとの説あり。¥(+0+)¥ 参った!!