原一男のドキュメンタリーを2本見る。

極私的エロス・恋歌1974 [DVD]

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→原がはじめに語るように、彼は今はいなくなった元恋人(武田美由紀)の喪失感から逃れるために、カメラを通じて美由紀と関係を持とうとする。その記録となったのがこのドキュメンタリー映画の主な内容。だが、ここで問題なのは、カメラという客観的な記録者、つまり原自身がこの映画に入り込んできていること。例えば、原がインタビューをしているにもかからわず、原自身が感情的になり、泣いてしまったりする。さらに、出産シーンでは、カメラは客観的な記録であるにもかかわらず、原自身の動揺によってカメラのフォーカスが完全にずれてしまっている(自らもそれを認めている)。それによってカメラは客観的/主観的(感情的)に左右されるものとなってしまう。恐らくドキュメンタリー映画を見るということはそういうことなのだと思った。→登場人物の視点にあわしたローアングルが多かった。…2本連続でドキュメンタリー映画をみてると、ふと考えてしまう。ドキュメンタリー映画とは記録であり、物語(フィクション)映画のように起承転結のような「初め/終わり」は基本的に存在しないはず。しかし、たとえ如何なる映画であろうとも「初め/終わり」は絶対に存在しなければならない。では、一体ドキュメンタリー映画において「初め/終わり」とは何なのか?…