意味の四角形

id:morohiro_s:20051129より色々情報を提供してもらい、大変感謝しています。ですが、id:morohiro_sサンの問題と私が問題としているところは少し異なっているように思います。
■私が問題としているのは、主にクラウス『視覚的無意識』(第4章)における「高貴/卑俗→低級」の問題。おそらくここでクラウスは、バタイユの低級なものによってこの論理構造の領域自体を解体させようとしているのだと思う(つまり、高貴/卑俗の対立そのものをなし崩しにする。)「風景/非風景→マークされた位置」というのは、やはり弁証法的な考え方ということができるであろう。むしろ「低級なもの」はそうした弁証法的方法そのものの否定だと考えられる。
それでもあえて私がこの意味の四角形にこだわる理由は2つ。

  1. なぜクラウスは、バルトが指摘した「低俗なもの」をこの図式に当てはめる理由があったのかということ。つまりこの四角形を導入することによって何が問題となっているのかということ。(→最終的にマトリックスの話しにもっていきたかったのだろうか?)
  2. 仮にクリフォードやクラウス「展開された場における彫刻」のように、高貴/卑俗(低級)を当てはめた場合、どのようになるのか?

いずれにしろ、この「意味の四角形」がひとつのツールだというのは私も賛成である。これを結論にもってくるのは意味なしだと思う。