バタイユ研究しているなら見ないとと進められたもの。

ポリエステル(字幕スーパー版) [VHS]

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ピンクフラミンゴ [DVD]

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フィメール・トラブル [DVD]

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→ジョン・ウオーターズの作品をはじめて見たけれど、第一の感想としては、何かこの映画変だと思った。確かに『ピンク・フラミンゴ』にしても、その他の映画にしても、基本的にお下劣だと方向性は同じ。これが善に対する悪の提示とか、反イデオロギー的だと言うのは至極当然。こんなイデオロギー批判的な言説は、映画に限らずどこにでもあるのだけど、彼のどの映画の中でもお下劣さが、一般的(≒善)の社会の中に溶け込んでいる。変態的愚劣さが普通なのである。盗みや殺人、カニバリズムなどもするのだが、それが当然のように、また『ピンクフラミンゴ』では、処刑をネタとして記者たちを招いている。これが何となく奇妙だと思った(サドやそれを映画化したパゾリーニなどでは、完全に孤立した空間の中で悪が実践される)。
まー「肛門ダンス」ははじめて見たけれど(ぼかしからでも何となく見える…あれは正直ビビッた)、ジョン・ウォーターズの映画を形式的に分析してみるとこの「奇妙さ」が見えてくるのかもしれないと思う。第一に、この三つの映画は、物語映画であるにもかかわらず、基本的に時間的な連続性がかなりいい加減。たとえば、AのシーンとBのシーンが同時間に起こっているにもかかわらず、それぞれのシーンごとにぶつ切りにつなげられている。そのため、時間的には一瞬宙吊状態に陥る(『ピンクフラミンゴ』は完全版を見ていないのではっきりとはいえないけれど)。次に、この時間的非連続性ゆえに、(とくに『ピンクフラミンゴ』と『ポリエステル』についていえるのだが)ひとつの場所つまり空間(『ピンクフラミンゴ』ではワゴン、『ポリエステル』では家)を中心にして物語が展開されているということ。これは、当時のアメリカの社会状況もかなり反映されているようだが、彼の映画は同じ場所を繰り返すことによって、映画的連続性を維持しているとも考えることができる。こうしたひとつの場所を中心にして構成された非連続的なモンタージュによって、この映画は、善の世界/悪の世界を等価なものとして提示していると考えることができるのではないだろうか。そして最後のスカトロのシーン(『ピンクフラミンゴ』)では、ミドルショットのディヴァインのまなざしがこちらへと向けられ、この不連続性は観者をも巻き込み、観者が持っていた善/悪の価値観は完全に放棄させられる。要するに、この無時間的な空間性こそが、私が感じたような彼の映画の「奇妙さ」を示しているということである。
ところであのスカトロのシーンで、ディヴァインが食いながら少しえずいていたのは笑ってしまった。このお見事なシーンには乾杯。
このなかで一番完成度が高く面白かったのは、『フィメール・トラブル』だけどね。あの「ゴーゴー・ガール」は最高である。
しかしそのあとに
肉体と悪魔 [DVD]

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グレタ・ガルボを見たのは完全に失敗だった。もう少し時間をあけて見るべきだった。