越後妻有トリエンナーレ1。

■妻有トリエンナーレに大勢で行ってきました。
主に郷土的なイメージをメインにしてそれをもとに作品にしており、当然といえば当然だが、セクシャルな問題とかポリティックな問題はまったくないとてもクリーンな芸術祭だと思った。私自身も経験したことのない、おそらくメディアによってつくられたようなノスタルジーを前面に押し出しており、少々退屈な気もしないでもなかった。
だが、それはそれとして、美術館とは異なり作品を見るために、大勢で必死になって目的地まで向かせるその労力を観者に与えたのはこの芸術祭の力の一つではないかと思う。いくつか気になった作品もあったが、それ以上に廃校や廃墟を山を越えて次々とめぐり、みんなでひとしきり語り、林家ペーパー状態で写真を取りまくる、そういう体験は、決して一つの美術館ではできないであろう。
ちなみに、宿は少しエロく布団が三つ並んでいました。

■旅行の次の日に
Sydney/Kansai Projectコンテンポラリーダンスを初めて見てきた。
手塚夏子の"私的解剖実験シリーズ"の外での公演から始まり、その後中へと導かれる。
率直な意見として、身体がこうまでも複雑に表現されるのかと感心した。その臨場感と迫力はかなりよかった。妻有のときも思ったが自分がどれだけ普段間接的にしか作品に触れていないかと反省する。しかしその分、あまりに直接的であるために、チープな作品はほんとにチープだということもよくわかった。