大正イマジュリィ学会

■久しぶりに大正イマジュリィ学会に。
北澤楽天の『東京パック』という漫画の話と、北畠華宵のキャラクターデザインの話。後者についてだけ。東の『動物化するポストモダン』における、萌え要素によって作られるキャラクター設定というのが、実はポストモダンに限ったものではなく、華宵の顔のデザインにも既に現れていたのではないかというものだった。最近何かと(理想的な)顔の表象に関する議論をよく聞いている。モンタージュ写真における顔も華宵の顔のデザインにしても、ある種の理想化されたものとして作られ、それがマークとなって流布していく。そこでその仮象的な顔のイメージがリアルなものとして同定されていくように思う。