シュルレアリスムと手

■不気味な手

Speaking With Hands: Photographs From The Buhl Collection

Speaking With Hands: Photographs From The Buhl Collection

シュルレアリスムの手論文を読む。人間は動物とは違って手を使う動物であり、その意味で人間の手は人間的性格を備えた身体の一部である。そのような手をシュルレアリストたちは文学的、視覚的な方法によって切断していく。それは(ゾビチェックが指摘している)頭を切断するのと同じように、理想的な身体というものを破壊することを意味している。その結果シュルレアリスムの手は、フロイトの言うような不気味なものとして、全体的な身体の一部としてみなされるのではなく、むしろそれ自体で別の意味(超現実)を生みだすことになる。
この論文は終始「切断された手」ということを中心にして半透明性、性的な意味合い、二重化、アンフォルムといった議論が進んでいる。これはこれでいいのだが、問題は、こうしたシュルレアリストたちの断片的な手写真が、写真の現前性というメディアの特性を問い直す、契機となったということ。それと、この論者の分析方法からも明らかなように、単にシュルレアリスム写真といっても、その方法は様々で、厳密には「シュルレアリスム写真」なるものは存在しないということ。そのため、ブルトンの文学的・視覚的な手の表象と、当時のその他のシュルレアリストのそれとを比較して考えることができる。それと手と頭の関係も考えなければなるまい。

それと、こんなものが出版された。

シュルレアリスムと“手”

シュルレアリスムと“手”