■論文Emmanuel Tibloux "Le Tournant du Theatre"終了。以下簡単に要約

この論文の中心軸は、『アセファル』期(1937)のバタイユをひとつの転換期として捉え、それ以前の二つの活動(『ドキュマン』(1929-30)の頃と『社会批評』(1931−34)、『コントル・アタック』(1935-36)の頃)と、それ以後の活動(『内的体験』(1943))の思想的展開を連関させようとすることにある。
『アセファル』におけるバタイユの主張には「合理的な論理」と「情動的な論理」という矛盾した論理が混在している。しかし著者によれば、この二つの矛盾はともに、「人間的な実存の領域における情動的な生の強度l'intensite de la affectiveを思考し発展させる」バタイユの思考そのものだという。
 このような論を展開するために、著者は「情動的な生の強度」に対して、それまでのバタイユの活動を一方で美学的な観点から(『ドキュマン』)、他方で政治的な観点から(「社会批評」)考察する。『ドキュマン』期のバタイユはformeに対して強烈な[intenses]情動的な諸状態を表現し喚起するような実践的なformeを問題にしている。著者はバタイユのこのような情動性に対して、以下のように述べる。

この観点のなかで、バタイユは変形や不均衡のダイナミックな諸現象を重視し、形態の「様相aspect」や「説明不可能な現実的現前presence reelle」に例えられる直接的な感覚の出現を強調する。*1
その後「社会批評」および「コントル・アタック」の活動期においては、主にファシズム政権に対する反抗から、より合理的(理論的)に論理が展開される。しかしバタイユは、合理的な思想を厳密に展開することはなく、そこに「情動的な理論」を描き込む。そのような矛盾したバタイユの思考が顕著に示されているのが『アセファル』の「ニーチェ風時評」という論文だというのが著者の主な主張。
著者はこの矛盾をバタイユの「悲劇」及び「演劇化dramatisation」という言葉によって説明する。

ここで更に注目すべき重要なこととは、バタイユが情動的実存モデルを認識する悲劇の図式とは、何よりも美学的モデル――単に死の主題だけではなく、スペクタクル、つまり感覚的現前の様式を含む――であるということである。
更にこのようなバタイユの情動的実存への追求は、彼の主著『内的体験』においても見られるという。

→「シュルレアリスム=表象された情動性←→バタイユ=現実の情動性」と対比しているのは使えそう。
バタイユの概説書としては短く纏まっていて良い論文だと思う。でもそれぞれの言葉の意味が厳密に説明されていないのが寂しい。そこが知りたかったのだが・・・。それぞれ対応する論文を探すべし。結局振り出しに戻ってしまった気分。

*1:これに関してはダミッシュ"Du mot a l'aspect"を参考。