講義

エミール・バンヴェニスト"Le Langage et L'experience Humaine" 私のものの時間性は、それが私のディスクールを配置すると、直ちに私の対話者によって彼のものとして受け取られる。 私とあなたがディスクールの審級における対話のなかで、私の発した言葉は…

エミール・バンヴェニスト"Le Langage et L'experience Humaine"を読む。 →彼にとって問題なのは、ディスクールの審級(l'instance de discours)のなかにおいて、常に生きられた時間を体験している私〈je〉があなた〈tu〉との関係によって、主体性をいかに獲…

学部生の「マンガ」と「博覧会」の発表。気になったのはエッフェル塔の高さとロンドン博の会場の図面。 エッフェル塔については以下を参照。http://www.actv.ne.jp/~yappi/new-baksisi/nb011-kousoukentiku03.htm

バルト「映像の修辞学」を読む。みすず書房の翻訳には、誤訳がいくつかあり注意して読む必要がある。しかし読みにくい日本語…何だか自分の読解力を疑ってしまうぐらい変な日本語。そんなこんなに悩みながら、およそ12時間かけて作ったレジュメが、たった5分…

バルト「写真のメッセージ」に続いて「映像の修辞学」を読む。記号・・・記号・・・ばかっりで少し飽きてきたのが本音。なぜか記号論」と聞くとあまり面白味を感じなくなる。

仏文の授業にてラカンについてお勉強。ラカンのオイディプスの理論に従えば、想像界においては子と母は融合の状態であり、そこでは他者が二重の自己、エゴとなる。他者が自己の分身となる二者的な関係。その段階では、主体はまだ獲得されていない。そこに父(…

急いで家を出たものの、講義が休校であったことを思い出す。よってホフマン「砂男」を読む。

仏文のブルトンのゼミ発表に参加。中心は『狂気の愛』について。ブルトンの「至高点sublime」の意味作用が伝統的「至高」の概念の意味作用に一致とのこと。ブルトンはエクスタース、オカルト、精神分析、エロティックなものという至高点を目指すが決してそれ…

映画論:ポーター論 ノエル・バーチの原初的再現モード(PMR)→進化論的・目的論的な映画発展の見解に対する新たな見方。このバーチのPMRによる「古典的な」諸前提に対する批判は、トム・ガニングの「ショック」理論と共通点があるのではないか。 『ドキュマン…